東京藝術大学の学生生活は本当に病むから気をつけた方がいい

4年前の春、私は念願の東京藝術大学 美術学部絵画科油画専攻に現役で合格し、これからの楽しい大学生活に心踊らせていました。
油画科の伝統のお花見に誘われ、上野公園の桜の美しさに心奪われていると、とある先輩が私に言いました。
「棚村にはどうかこのままでいて欲しい」と
私は当時、この言葉の意味が分かりませんでした

皆さんは東京藝術大学をご存知ですか?

村上隆さん、岡本太郎さん、伊勢谷友介さんなど、多数のアーティストを排出している、国内トップの美大と言われています。

私は東京藝術大学 美術学部 絵画科 油画専攻現役で合格しました。

私の年は倍率22倍現役合格の倍率は100倍とも言われていました。

1000人もの屍の山の上を歩く日々も、来月の卒業式で終わりを迎えようとしています

今回は4年間を振り返って私が東京藝大に対して思うことをお話したいと思います。

祈り (F20号 油彩)

1,どうしてみんな病んでしまうのか

東京藝大の生徒は少なからず病んでしまうことが少なくありません

皆んなどこかに心の闇を抱えていたように思えました。

その闇が絵を描く原動力になることもありますが、闇が結構深く、一人では抱えきれないほど悲しい過去を背負っている生徒が多いです。

(1)周りと競争して自信がなくなるから

藝大に入ると、せっかく藝大に入れたのに自信が無くなることがあります。

みんな切磋琢磨して一番になろうとするので、周りのペースについて行けなくなってしまうことがあります。

学生同士で作品を講評しあうことはありますが、作品だけで無く作者自身の人格否定までしてしまうことが多く、外に向けて発信するのを恐る生徒もいました。

私は自分のアンチから殺人予告が来たことがあります。

自分の使っていたアトリエにトマトを投げつけられたこともあります。

学生同士で足のひっぱり合いから、人間不信になることもありました

現役で合格した目のキラキラした夢と希望に溢れた友人は、藝大に入学して4年間で情緒不安定になり、大好きな絵が描けなくなりました。

学年に一人は行方不明者がいるというのは事実です。

私の学年にも在学中に二人行方不明になりました。今はどこで何をしているのでしょう。

(2)病んでる時ほど良い絵が描けてしまうから

私がうつ病だった時、とある教授が私に言いました。

「棚村は病んでる方がいい絵描くよなぁ」と。

そこで私は自分で自分の首を締めてどんどん良い絵を描きました。

教授の言う通り、病んでいる時ほど良い絵が描けていたのです。

幸せになるために絵を描いているのか、良い絵を描くために不幸になるのか

絵を描く意味が分からなくなってしまいました

(3)憧れてくるところじゃなかった

私は岐阜のクソ田舎で育ち、東京というものに強い憧れを抱いていたんですね。

特にテレビで見る東京はとてもお洒落でキラキラしていて・・・クリームがいっぱいに乗ったパンケーキ、お洒落なブティックとか

ドラマで見る東京の恋愛に、ただ漠然といいなぁ素敵だなぁと胸にトキメキを馳せておりました。

現実は、そんなキラキラしていません。

雑踏ビルが並ぶ灰色の景色と、産まれすぎた人間たちを毎日飽きるほど見る生活が待っています。

東京という街は、そういうところなんですよね。

実際、東京藝術大学に対しても大きな憧れを抱いていました。その理由はやはり「日本トップの唯一の国立美術大学だから」というのがあったと思います

そういう理由で大学にきてしまったので、憧れの理想と現実の差に心を痛めました。

日本トップの授業があるわけでは無いし、合格したからと言って自分の作品が日本のトップになるわけでは無かったからです。

大切なのは、自分が将来何になりたいかであって、藝大は通過点でしかないということを身にしみて感じています。

藝大は名前が一人歩きしている分、夢を見やすいので本当に恐ろしい所です。

中身が大したことが無くても、やっぱり一般的にはブランド力があります。

自分が「東京藝大卒」という重い肩書きを背中に乗せて歩んでいくことが、とても辛いです

いなくなったりなんかしませんよ、本当ですよ(F3号 油彩)

 

東京藝術大学で元気に学生生活を送る方法

東京藝術大学で病まない3つの方法についてお話します。

私の大学生活は鬱々としており、もう絵なんて描きたくないと思うほどでした。

今回は、一度心を病んだ経験を踏まえて、心の闇を乗り越えるにはどうしたらいいかお話します。

1,自分の欠点を受け入れて、良い面をみる

自分の欠けた部分に当てはまるピースを探し続けることはとても辛いことでした。

いい面を放っておいて、悪い面ばかり気にすると、いつまでたっても満たされません

これは予備校の背景があると思います。

例えば「棚村は発想力は良いけどデッサン力が皆無だね!」なんて言われ続けた私は、大学に合格してからも自分の欠点を直そうと一生懸命努力して、上手く行かず。自分はなんて価値が無いんだろうと責め続けました。

自己否定に入ると、なんだが自分は頑張っているような気がしてくるのですが、これは危険です。

自分で自分の首をしめて安心した気でいるだけです。

自分に対して超ストイックに頑張っていると、いい調子だぞもっと自分を虐めよう!という思考になります。負の連鎖ですね。

学年には一人二人、神レベルに上手い人がいますが、そういう人がテレビに出たり美術手帳に載ったりすると、悔しいなぁ、追いつけないなぁと気持ちが焦ることがありますが、そうやって自分のペースを自分で乱すのもよくないです。時の流れに身を任せて、のんびり自分の時間で生きることが大切だと知りました。

心恋し (F3号 油彩)

2,深く考えず、絵を描くことを楽しむこと

本来、絵を描くことはとても楽しいことです。深く考えすぎると、その楽しさを忘れてしまうことがあります。

この絵の具綺麗だなぁ、このストローク美しいなぁって、純粋に絵を描いていた頃に戻ることが、心の闇を軽くする一つの方法だと思います。

私は心象風景を描きますが、とある批評家に「シュールレアリスムの時代に心象風景はやり尽くされているのだから、君が現代でやる必要は無い」と言われたことがあります。

確かにそうだと思いました。

でも私は私の描きたい絵を楽しく描きたいと思うのです。

堂々と絵画を楽しんで描いても良いんです。

3,誰かに気に入られようとしない

藝大生だからと言って、世間の藝大のイメージに合わせて制作するのはとても窮屈で自由がないと思いました。

やっぱり一般的にみたら藝大生は綺麗な絵を描くイメージがあるかもしれないけれど、たまには顔面で音楽を表現したくなる時もあります。そこで心を押さえつけて、世間の期待ばかりに答えていると心が疲れてしまいます。

また、この業界には、どこのギャラリーと仲良くなるといい、とか、〇〇さんに気に入られようとか、こういう作風で描くとコンペで賞が取れるとか、美人画を描けば飯が食えるという話があります。

そういう中で生きていると、自分の好きな作品が制作できなくなります。もっと自由に、好きな絵をのびのびと描くことが心の闇を少なくする一つの方法だと思います。

心へ (F200号 油彩)

最後に

この内容に賛成、反省のひとがいるかと思います。賛成の方はぜひシェアを。反対の方はぜひ反対の意見を発信していただたらと思います。

入学された方おめでとうございます

どうかそのままのあなたでいてください

#東京藝大入学生へ

 

82 件のコメント

    • 私も芸術大学で同じことを体験しました。
      しかしその苦しみをーなかなか文面、字面に表すことができずにもどかしい出口のない苦しみに絡まっていたような時期でした。

      同じことを感じていた人がいたんだ、ということでだいぶ心が救われた気持ちになりました。
      記事を書く際に様々な葛藤があったと最後の文から見えました。
      棚村さんの言動に感謝しています。

      実際私も芸術大学のそういったストレスに耐え切れずに行方不明になった1人です。
      しかし芸術家として生きることが諦められずに藝大に再入学するつもりです。(分野だったものづくりは辞めましたが)
      棚村さんが書き記してくださった言葉を胸に 強く、自分を大事に進んでいきたいです。

    • 画家が特別なのは画才だけです、後は普通の人間です。小説家も、音楽演奏家も、プロスポーツ選手も、何処にでもいる誰かがある分野でずば抜けた才能がありそれを発揮しているだけです。人を称賛するのも嫉妬するのも、芸術家だって何処にでもいる誰かと同じです。

      普通の芸術家は、先人があらゆる事を成し遂げて仕舞ったので、自分がする事は何ひとつ残されていないと云う諦観というか、言い訳というか、平凡な認識にぶつかります。

      でも、絵画史を25年くらいで単位で見ると、必ず変化しています。誰かが新しい事をしています。それは棚村さんかもしれません。

      私は画家を4つのカテゴリーに分けています。まず技術も表現もある画家がいます。例えば伊東深水、伊藤若冲です。技術は無いが表現がある人がいます、例えばゴッホ、ベルナールビュッフェです。技術はあるが何も表現できない画家は大勢います、無駄に上手いだけです。最後に、技術も表現もない画家が一番多いパターンです。

      私が見るには棚村さんは技術は無いが表現はあるタイプです。自分の表現を大事にして下さい。

    • 音楽家も同じです。
      棚村さんが経験された道、私も通って来ました。
      よくお気持ちが分かります。
      私達は「生かされて」います。
      神は私達に耐えきれない試練は与えません。
      私達は神に見守られています。
      くよくよせずに、めげずに、
      心の中にいる神を信じて、感謝しながら、
      目の前にあることに全力で取り組む事が、
      私達がすることです。
      人間ですから心がざわざわすることもあります。
      神は頑張る人を愛します。

    • いつもピュアなきもちが伝わるメッセージですね。応援しています。

      苦しみのなかで光を感じる。
      はじめてひかりを求めて集中する。
      だからうつの方が良いものが描けるようにいわれただけではないでしょうか。

      光を求め、一心に求めるから良いものが描ける。

      本当は一瞬の中に永遠を描けるか否か。

      人の評価よりも、自分の内なる充実感が大切。作品は人の評価と同じく
      歴史の法廷で裁かれ評価されるものだから

      時間の流れのなかで輝きを失わないならば、良い作品なのでしょう。

      愛を感じるメッセージだが迷いもある。

      本当の自分、本当の輝きを取り戻すための旅路を歩むことです。

    • 俳優も似たようなものです。
      オーディションは落ちる事が多いですし、自己否定してる暇がないくらい落ちますが、ある時堕ちます、何がダメなのかと。
      背が低いからとか努力すらできません。
      回りの成功に嫌気がさす事もありました、共通の知っている監督なのに、なぜこっちにはオファーがないのだろうとか。

      学生ではありませんし仕事がなければ生活ができません。
      その点上京している人は大変、事実芸能界の9割は関東出身、親が裕福、芸能一家・・・
      映画学校出身じゃないと、監督のワークショップに参加しないと、大手プロダクションに所属していない・・・

      それでもオファーしていただける私はまだ愛されています。

      今では人と比べず強みを活かそうと努力し楽しむことに集中していますが、生活できるに至らず、躁鬱を繰り返していますよ。
      お互い楽しんで頑張りましょう、芸術家と俳優の何かコラボできれば嬉しいなあ。

  • 何かに真剣に向き合おうとするのは若者の特権でもあるのでしょう。真摯に向き合うと、しばしば心を病んでしまう。歴代の画家にも多くの病んだ人たちがあったと思います。でも、折角生まれてきたんだから、お互いに気持ちよく、楽しく、生きて行きたい。人間はいろんな面を持っている訳だけど、その負の面を見つめているうちに、負に飲み込まれてしまう若者にはならないで欲しいと思います。

    • ななしのごんべさん、非常に失礼なことだと承知で書きますが、あなたにはこの文章に書かれている内容が伝わっていないように思えましたので、こちらのスペースをお借りいたします。

      棚村さんは絵を描く人間、作品を制作しなければならない状況に精神が追い込まれた状態になった人間にしか伝わらない独特の鬱状態や、その予防となるであろう心構えに関して、こちらの文章を書かれています。
      おそらく本気で、死ぬ気で絵を描いたことがないあなたには、「鬱」や「負の感情」が生み出す作品が、自分でものちに見返したとき、思わず見入って考えさせられ、圧倒されるほどのパワーに目がくらむほど“良い作品”になる確率があがることをしらないのではないでしょうか。

      批判するつもりはありませんが、ななしのごんべさんのように、知ったつもり、悟ったつもりになって語られることや、一人の作家を「若者」や「絵を描く人間」と一括りにした先入観が、たとえアドバイスやフォローのつもりであっても、クリエイターにとってはとてつもない重みとなり、鬱への背中を押すことになる時があるということを知っていただけましたら幸いです。

      私も知ったようなことを書いてしまってごめんなさい。
      棚村さんの文章には非常に共感する場面が多く、口を出さずにはいられませんでした。

      ≫棚村さん
      初めて活動を拝見いたしましたが、とても魅力的な作品を描かれますね。
      最後の「心へ」という作品が忘れられそうにありません。
      今後の活動を陰ながら応援しております。
      失礼いたします。

  • わたしは春から武蔵野美術大学に入学する高3生です。
    美大入学を控えた今、期待に胸が膨らむ一方で、漠然とした不安がありました。
    それは今まで切磋琢磨したよりも上手い人たちの中で自信を失うかもしれないとか、この記事で書かれていた類のものです。
    武蔵野美術大学は東京藝大よりも入試レベルが低いので、棚村さんがメッセージを届けたい相手としてわたしは役不足かもしれません。
    ですが、この記事を読んで心が軽くなりました。
    これから四年間、わたしなりに沢山吸収し実りの多い大学生活を過ごしたいと思います。
    ありがとうございました

  • Twitterリツイートでこちらのサイトにたどり着いた者です。

    棚村さんのこちらの文章で、芸大生になれなかった私の中のモヤモヤが成仏したような気持ちになったので、思わずコメントしてしまいました。

    ここに書いてある文章を産み出していただき本当にありがとうございます。

    作品も優しくてあたたかくてとても美しいです…
    勝手ですが、Twitterフォローさせていただきました。
    これから作品展示の告知などなど楽しみにしております。

    • 私はムザビ卒です。ムサビは自由でのびのびとしていて、互いの批判などもなく、私の在学時はよき教師や友人に恵まれて、実に素晴しい学校でした。芸大は、私立が受かったので、受験しませんでしたが、何の悔いもありません。

  • 初めまして。ТLで知りました。
    棚村さんの絵 好きだなと思いました。絵を描く事も観る事も大好きで、大学に行けたなら美大に行きたいと思っていました…夢でしたけど。
    またどこかで棚村さんの絵に出逢えたらいいなと思っています。
    ご卒業 おめでとうございます💐

  • シュールレアリズム好きな東京大学卒業生です、似た思いと道を通って来られたのを見て切なくなりました。
    そしてあなたの絵が好きです、ありがとうございます。

  • どこに行っても素晴らしい能力を持った人間はいた。
    学内だけでなく学外と交流を持てば、五美大だけでなく、(誤解を恐れず表現すれば)取るに足らない美大や専門学校においても、抜きんでた才能を持つ人間に会えた。
    得られる能力だけ見れば、「位の高い」学校で学ぶ必要は全くなかった。
    一方環境や、あるいは人脈は、たしかにその場所でしか手に入らない。いい大学には(いろいろな意味で)いい環境がある。
    しかしその環境とかの要素すら、人によって合う合わないがある・・・。
    入学してからも、いつからでも、常に何かに真摯に心を預けていられるような環境ないし心理的コンディションには自分を移すことができる。そしてそれは学内である必要は全くなかった。とにかく常に考え、常に感じて、常に行動し、常に反省することが大切だった。
    これができれば、どのような形であれ、常に変化していけると思う。
    全くこの記事の内容には同意するしかない。ここに書いている3つのことに賛同し、また自分もそのようにあれたと今思えるだけでも、自分自身美大に通えてよかったと思える。

  • 良い絵ですね
    こころが軽くなります
    世界は広いから、好きな絵を好きな場所で描き続けられたら良いですね
    芸大は在学中は、外の人とたくさん繋がっていると幸せだと思います

  • 大丈夫。卒業して、イヤでも学校以外の人たちとゴリゴリ擦れ合うと、あなた達のいる「病んでいる世界」がどれだけせまいものだったか、そうするヒマがあったのかを知ります。そうなれば、今あなたが病んでいることなんて、針でつついた点のように見えてきます。
    勝ち負けという発想が出てくるのは、予備校、受験というちっぽけな価値観から未だに抜け出せていないから。あなたが「負けた」と思っている相手は、そんな価値観をとっくに通り過ぎていますよ。
    あなたはその人に負けたんじゃなくて、技術にしても思考にしても、知らなかったことや気づかなかった視点を教えてくれたんです。お金も払ってないのに。学校を出たらそんなサービス滅多にありませんから、今のうちに他の人の親切をがめつくかき集めましょう。どんなにもらってもタダなんですから。

  • 大丈夫。卒業して、イヤでも学校以外の人たちとゴリゴリ擦れ合うと、「病んでいる世界」がどれだけせまいものだったか、またそうするヒマがあったのかを知ります。そうなれば、今病んでいることなんて、針でつついた点のように見えてきます。
    勝ち負けという発想が出てくるのは、予備校、受験というちっぽけな価値観から未だに抜け出せていないから。あなたが「負けた」と思った相手は、そんな価値観をとっくに通り過ぎています。
    その人に負けたんじゃなくて、技術にしても思考にしても、知らなかったことや気づかなかった視点を教えてくれたんです。お金も払ってないのに実にお人好しです。学校を出たらそんなサービス滅多にありませんから、今のうちに他の人の親切をがめつくかき集めて食べてみましょう。どうせどんなにもらってもタダなんですから。

  • 芸大はやはり他者との比較がキツいですね。でもそんなことよりこのブログの合間合間に挟まれる油絵がとっっても素敵でした。最後の「心へ」、なぜだか言えませんがグッと来ました。あぁ、いい絵だな、好きだなとスッと入って来ました。実物を見てみたいです、油絵はやはり実物と画像とでは印象が丸っと違うでしょうから…
    どうぞこれからも貴方が楽しいと思える絵を、作品を、生み出していけるようお祈り申し上げます。

  • 毎年25人(女14~13男12~11)の合格者が出てその大半は多浪、現役0人の年もざら。そして学部卒業するとその半数は大学院に行き、半数はバイトをしながら作家活動、就職するのは1,2人、院に行った連中から3人は博士にいき、そこから1,2人は大学に助手として残るが、残りは予備校講師などのバイトしながら作家活動という名のフリーター。卒業から5年も経つと女の7割は結婚していて、男も作家活動を諦めて仕事を見つけた奴がちらほらと。
    8年経ったら絵描きを目指していた25人のうち未だ作家として絵を描いているのは4分の1以下、その連中も予備校講師で生計を立てながら院展、創画会などの公募展に出すくらいで絵自体は殆ど金にならず、むしろ高額な岩絵の具や麻紙代で貧窮生活。そして30を超えると高給で楽だからと続けていた予備校からもクビを切られそうになりお先真っ暗。クビを切られず30過ぎても予備校講師をやっているとそのまま予備校専属の講師で終わる。クビを切られた連中は大抵カルチャーセンター講師や個人お絵かき教室の先生、教職もってるやつは中高の美術教師に落ち着く。この頃には女は殆ど家庭に入る。大学法人化したせいで助手は4年間という制度ができ、助手→講師→教授の出世コースも厳しくなり、助手になっても4年を待たずクビを切られる。
    皆、画家として活躍することを夢見て活動するも、大学から出た辺りで手詰まりになり、大半は生活に困り、卒業後数年で作家活動を諦め、生活のために働くようになる。そんな中から売れっ子は10年に一人出る出ないか。毎年毎年、千住博、村上隆、松井冬子、もしくは院展の同人作家たちみたいに日の目を見るという夢を持った、25人が多浪までして入ってきて、 それと同じ位の数の藝大日本画OBがその年画家の道を諦める。藝大ブランドが通じたのは美術予備校の講師になるときだけという現実。

    昔から変わらんのでしょう。

  • お褒めの言葉が多いので少し残念に思ったことを一つ。
    病んでいる時の絵が素晴らしかったということは、あなたの心の闇にキラリと光るものがあったんだと思います。
    それを客観的に把握した上で心の箪笥に残して欲しかった。
    その闇を描いた、さらに洗練された作品も見てみたかったと思うのは私だけでしょうか。

  • どんな環境に居ても人間同士です。争いや嫉妬
    妬み恨み、友情や愛情も生まれます。自分の欠点を受け止める。これ大事だと思います。自分を理解していない人は平気で人を傷つけます。自分を過信しすぎると挫折が数倍にも膨れ上がり自分で対処出来なくなり全てを遮断してしまう。
    様々な分野を自分の中に取り入れ全ての有機物が網目のように繋がってることを理解しそこに自分の作品や物もある意味を知る事で気持ちを保てる気がしています。

  • 同じく今年美大を卒業した者です。お言葉に心を打たれました。つきましては、わたしのおもう大学の印象と感じたものを共有したく、僭越ながらコメントいたしました。

    自分が生きる環境が学内である必要は無い、大学で得たひとつの教訓です。
    大学というブランドは、武器にもなるし、味方につければなにかと便利です。同じ目的で学ぶ人間の中に身を置くことで刺激を受ける、制作を許された環境がある、大学の人脈で自分をブランド化出来るなど、大学の魅力は多く存在します。しかし、あくまで「大学として」の魅力です。「本学の学生として」責任を持て、「本学の学生として」誇りを持て、大学はあくまで「大学の」学生を育てます。1人の人間として、自分が存在出来ていないように私は感じました。そこでなるべく外に視野を向け、大学という温い環境を離れることで学生としての自分から切り抜け、おかげで鬱屈と項垂れることなく制作できたと実感しております。
    若輩者の戯言で、せっかく大学に入ったのに本末転倒なことを述べているようですが、所詮は大学を自分のためにどう生かすか、であると思います。友人が在学中言った「教育は個性を殺す」という言葉には共感せざるを得ません。だからこそ、大学色というものが生まれるのです。

    全て通過点であり踏み台です。自分の将来や身体を豊かにするための踏み台のひとつが大学です。芸術は自分を、時には他人を豊かにするツールであり、苦しいなら離れてもよいのです。何もやましいことでは無いですし。

    自分の同期も数人行方不明で、やましいことをした訳でもないのに、消えるように居なくなるのは寂しく感じました。たかが年上に何か言われて、たかが同年代の若輩者と比べたくらいでいなくなってしまうのは勿体ないです。
    長くなりましたが要約しますと、学生の方々には自分のために大学を使ってほしいと思うのです。

    長々と失礼いたしました。
    最後になりましたがご卒業おめでとうございます。
    素敵な門出になりますように。

  • Twitterの投稿からこの記事を知りました。
    中学の時に吹奏楽でマーチングをやっており、一応東関東まで3年とも行きました。
    高校から大学2年生までは地域の楽団で活動をしていましたが、
    様々な要因で精神的に駄目になり楽器を吹けなくなりました。
    楽器を吹けなくなった間でも何かを生産しなくては意味がないと思い、
    現在では絵を描くようになり、貴方の記事にも興味を持つぐらいになりました。

    吹奏楽では団体で表現するので、少しの失敗も影響を及ぼして批判されてしまいますが、
    それは一時的なもので、時には知識のある人の中に許してくれる人もいます。
    また、楽譜という別の人が作り上げたものを再編成または組み立てをして、自己アレンジを加えるようなものなので、
    よほどのことがない限り人格攻撃はされませんでした。(ただし音大は魔境)

    それに対して絵を描く事はアイデア・構成・アレンジなどすべてを一人で手掛けるのが一般的なので、
    一人に向けられる批判はとても多いと改めて思いました。
    ですが、貴方の記事のおかげでもし批判されたときにどのような考えをしたら良いかがはっきりとわかりました。
    この記事を読めてとても良かったです。

    最後に、もし可能であれば顔で音楽を表現するときに、事前にその曲が作られた経緯などを調べてみてはいかがでしょうか?
    少し面倒になってしまいますがその曲を作った人の気持ちをわかるともっと面白くなると思います。(もちろん解釈は人それぞれです)
    調べるにあたってはインターネットは使わずに、まずは音楽辞典から調べた方が正しい情報にたどり着けると音楽科の教授から伺いました。

    長くなりましたが、とても参考になったので私からも情報を提供したく、投稿しました。
    以上です。ありがとうございました。

  • twitterでリツイートが回ってきて、このブログを拝見させていただきました。
    私は芸術をしっかりと学んだものではなく、完全な門外漢です。ましてや芸大に通っているわけではありません。
    ですから、こんな事を言うのはおこがましいと思います。けれど、あなたのこのブログに心を動かされ、コメントを残したいと思いました。気にさわりましたら本当に申し訳なく思います。
    まず、「病んでるほうがいい絵が描けるなぁ」なんて教授、ぶん殴っていいと思います。あなたも病んでるほうがいい絵が描けたと感じているようですから、これはあなたを傷つけているかもしれません。そうでしたら申し訳ありません。絵をはじめとして、歌、物語様々なものがありますが、誰かがいいと思うものは、誰かにとっては意味のないものです。その教授が病んでるものに強く心を惹かれるだけな可能性もあるわけです、わかりませんが。それに確かに、病んでいるほうがいい絵が描けることもあるでしょう。ですが、それは今自分に表現できるものをドーピングで無理矢理表現してるにすぎないかもしれません。むしろ、幸せでいて、好きなものを描いたほうが、素晴らしい絵が描けるかもしれません。「病んでるほうが」なんてその教授が未来視でもして、あなたのこれから先残すであろう作品をすべて見て言った言葉ではありません。可能性の話ばかりですが、本当にやってみないとわからないのです。
    次に、「シュルレアリスムが〜」なんてのたまった批評家もタンスの角に小指をしこたま、ぶつける呪いにでもかかればいいと思います。やり尽くされた表現?私はこうやって断定して、お堅い表現で、おしゃれに批評していい気になってそうな人は大嫌いです(あくまで主観です。その方だって、私が想像もできないような努力で、人一倍時間をかけて、世界中の作品をみた結果、そのような意見を練り上げたのでしょう)ですが、その批評家は全知全能の神でもないのに、なぜやり尽くされたなんて、偉そうなことが言えるのでしょうか?そもそもシュルレアリスムの巨匠たちは、俺たちはこの表現をやりきったぜなんて満足しているのでしょうか。だいたい、心象表現=シュルレアリスムのみってなぜ断定してしまうのでしょう?シュルレアリスムじゃなくても、心象表現を色鮮やかに表現してきた素晴らしい先人たちはいるのではないでしょうか。
    3つ目に、東京芸大という荷物を背負って生きるのが辛い、と描いてありました。はっきり言って私はあなたの悲しみや苦しみを経験したわけではありません。それがどれほどの痛みなのかわかりません。むしろそんな素晴らしいところに通えるセンスも情熱もありません。でも、学歴や資格なんかは、武器に過ぎないし、アドバンテージとして使えばいいと思うので、それが嫌だったら匿名で表現する場は沢山あると思います。
    なんてことを思いました。あなたはふりきっているのかもしれませんが、私はどうしても、その悲しいエピソードが気になったのです。
    長々と申し訳ありませんでした。私は芸大生でも、その大学を目指していたわけでも、心血を注いで芸術に打ち込んでいるものでもありません。家の外でよく内情も理解していないガキが騒いでるな、とでも思ってもらって構いません。
    それでも、芸術家は須らく病んでいて、病んでいなければ作品は作れない。その終末にあるものは死である、なんて凝り固まった考えを、あなたが乗り越えてくれたことが、私はとてつもなく嬉しいのです。
    私はあなたがこうやって生きて、ブログを書いてくれて、前を向こうと頑張っていることで、勇気付けられました。
    長々と本当に申し訳ありませんでした。見ず知らずの人からこんなコメント来て、びっくりして、気持ち悪いって思われるでしょう。ですが、どうか、あなたのこれからの人生に幸運があらんことを切に望みます。
    このブログを勇気を出して書いてくださってありがとうございました。

  • ご卒業おめでとうございます。

    私は地方大の芸術学部出身です。Twitterのリプでもありましたが、画学生が病むのはどこの大学でも同じです。友人にも先輩後輩にも何人も病んでいる子がいました。
    作品を作ることは自分と向き合うことであり、作品は自分自身の表現ですから。それを作品は作品と割り切るタイプの人と、作品が自分の全てのように入り込んでしまうタイプの人がいて、後者は病みやすいのではないかと思います。
    もちろん良い絵を描くのは後者の方が多いと思いますが。自分の全てを作品に注ぎ込むわけですからね。
    芸大はそういうタイプが集まっているから、講評が人格否定になるし、病む人も多いんじゃないでしょうか。
    おそらく棚村さんは、別の美大に行っていたとしても病んでいたと、私は思います。
    とはいえ、四年間お疲れ様でした。芸大に行ったことは絶対に無駄にはなりません。これからものびのびと作品を作ってくださいね。

  • お前が病んでるときの絵よりアボガド6とかネットでオラついてるイラストレーターのほうが心にグッとくるわ

  • TwitterのRTで拝見させていただきました。

    同じ芸術系で、書道関係の大学へ通う大学3年生です。

    書道をしている私ですが、棚村さんにとても共感しました。

    “自分の書きたいように作品を書きたい。
    自分の好きな書体で、自由に誰にも縛られずに思うがままに書きたい”

    今まで、ずっと思ってきました。

    期待や不安を胸に、大学に入学すると、
    思っていたこととは真逆で、

    自分の作品を、全否定される日々でした。
    大きな展覧会に入賞すると、友人からの
    嫌がらせなど、精神的に鬱になることも
    ありました。

    私は、
    高校の書道教員になるのいう夢を諦めてしまいました。

    今では公務員を目指しています。

    棚村さんの記事を見て、勇気ある行動をしてくださったことに感激しました。ありがとうございます。

    芸術系で進学しようとしているこれからの高校生に同じ思いをしてほしくないです。

    長々と失礼しました。
    最後に、

    ご卒業おめでとうございます!!
    棚村さんの作品、好きです!

  • こういったところに、初めて投稿します。
    勢いです。
    それだけ、こころが打たれました。

    私は絵には関わっていませんが、同じ芸術活動である役者をしています。
    だから、そのままの自分自身を認めてあげることの大切さ、しみじみと感じました。
    ありがとうございます。

  • おひさまみたいな絵の具の色が好きなんですね
    優しい心がぽわっとする絵ばかりでほんわかしました

  • 僕も片田舎で育ち藝大と東京に同じように憧れまして
    二浪しましたが金沢しか受からず行きましたが、やはりほぼ全員が藝大落ちの多浪生でした。デザイン科や工芸科は少し違いますが油絵彫刻はとくにゴッホの亡霊のような芸術の暗く鬱とした病のようなものに取り憑かれている感じはありました。その方がかっいい的な感じさえあります。他の美大もみたいですがその割にみんなやる気もたいしてないし熱みたいなのなくて病んでるみたいな。直感的にこれはというのがあって速攻辞めました。
    30歳中盤までこの世界とは無縁できましたが、そのお陰で変な価値観が抜けてなくなり、また創作しています。だいたい二十歳やそこらの社会も世界も知らないガキが、生きる方針を決めることなんてできるわけがないと思います。長いモラトリアムって言うとかっこいいですが、たんにふらふらして社会に揉まれながら色々観ていたのです。そこから自らのアイデンティティや日本人であること、人間であること地球人であること そして人間中心主義の経済優先が、我々地球生命の絶妙な生態系バランスを大きく侵食しながら日常の生活があることを身をもって知っていく。そこからはじめる表現には学生の頃とは違うリアリティがある。当然ですけど。でも結局のところ、病みに、闇に向かって行けるのがアーティストなんだっていま確かに感じます。そこにアーティストの存在価値と存在意義を見出すことができます。
    厭離穢土欣求浄土 世界平和 合掌

  • 主人が藝大院卒です。私は美術系専門卒です。
    すごいアーティストほど、自尊心が低い人が多いなと思ってはいました。その理由がクリアになった気がします。確かに絵を志す者、何かトラウマを抱えている場合が多いとは思いますが、私は「絵が心を浄化する救い」であって欲しいと思いました。絵を描く事で病んで行くのなら、何のために絵を描くのか、本当に分からないです。せめて棚村さんの未来は「仕事を通じて、自尊心と生きる喜びを取り戻す人生」であって欲しい願います。

  • 悩み、作品を残し、またその時(今)の想いを発信された貴女を尊敬します。
    日本のトップ大学という狭い世界に、多感な同世代の人が共に学んでいると、時に競争があり、コンクールなどで「勝ち」「負け」があり、悩み、苦しみ、また喜び。
    他方、一人の「芸術家」として生きるということは、同じ時代の世界の芸術(先進国のみならず、途上国も含めて)や過去未来の芸術との違いを出し、その人ならではの作品を世に産み出すことで、素晴らしいことだし、大変なことだと思います。
    大学4年間で、理論や技術などを学ぶこと以上に、「芸術家」や「人」として大事な点を学び、経験されたことが、何よりの収穫ですね!また、一人で生きていく「芸術家」を産み出すことができる芸大は、素晴らしい大学ですね!
    卒業、おめでとうございます。また、これから楽しみにしています。

  • 多摩美卒です。
    現在は広告のデザインをしています。

    なんだかしんみりしたのでコメントします。

    デザインを仕事にすると結局クライアントに振り回されて自分の作品にはならないです。
    売り上げなどの数字が付いて回るため、評価もアトリエの講評とは全くの別の軸でつきます。

    仕事にして初めて、周りに評価されなくてもいいし、なにを思われてもいいから、自分の作品をつくりたいとおもうようになりました。

    それはやはり社会的評価を貰えたから、次のステップにいけたんだとおもいます。

    そもそも競争で自尊心を埋めようとするのが問題だとおもう。

    まずは自分が自分を認めてあげられれば、
    他人の評価や比較なんて気にならなくなる。

    美大の人は、みんな自己評価が低いから、
    すぐ他人と比較するけどね。

    メディアの仕事してるとわかるけど、
    テレビに出たとか、雑誌に載ったとか、
    あんなのマーケティングのひとつだから
    そもそも比較対象として間違ってる。

    誰かに評価してもらわないと不安になってしまう心をなおしたほうがいい。

    なんて、、今も人のこと言えないんだけどね。

  • 私は棚村さんと同じ岐阜に産まれ、岐阜の美術高校に行き‥‥私は絵があまり上手では無かったので藝大には行けなかったのですが、東京に憧れていたので東京の大学に進学しました。高校在学時から棚村さんのおっしゃるように先生方や同級生の評価の目ばかり気にして絵がどんどん嫌いになり、でも東京には行きたくて‥‥結局そんな気持ちでは長続きせず2年で岐阜に帰ってきました。
    そんな私が今は、絵を仕事にしてもう20年になります。棚村さんも今はまだ不安もお有りでしょうが、自分の気持ちを大切にして何らかの形で絵を描き続けていただきたいと思います。良い文章をありがとうございました。私も、絵を好きでい続けたいと思います。

  • この若さでよくそこまでたどり着けましたねぇ!素晴らしい✨
    私は60歳を過ぎてようやく、長い苦しみと模索の中から這い出した というか抜け出せました。
    藝大、美大に象徴はされますが、生きていく中では大なり小なりあることで、自分が自分自身でいるということを掴むのはなかなかに難しい。なかには天性でそういう人もいますが、一生それを分からずに終わる人も多いのではないかと思われます。

    自分が何をしたいのかさえ分からない時期が長い人も多いし、一生分からないままの人もいます。

    自分の人生を、周りに振りまわされることなく、のびのびと、しかし謙虚に、変に力むことなく、楽しんで、与えられた「奇跡の命」の時間を大切に、人生をまっとうしよう、と思う私です。

  • twitterでこちらの記事が流れて来て、興味が出たので拝見しました。
    私も芸術系大学を卒業し、今はアニメやゲームなどの世界で絵をメインに仕事をしています。
    大学生の頃は私自身も同じような悩みを経験しました。

    若い頃は(私もまだ20代ですが)自分が認められるか認められないか、他より際立っていて特別か、など承認欲求がとても強くなる時代ですよね…。特に芸術などクリエイティブな世界はなおさらです。一番にならないと食べていけない、と本能的にも思ってしまうのだと。

    だからこそ、そういう世界の中でいかに「自分が何を表現して、どう伝えていきたいのか」という軸を持ち続けるということが大切なのだと思います。比較競争でなくて、オンリーワンの自分として何をしたいのか。きっとそれを捨てないで、問い続ける限り作り続けることができるのだと思います。

    今月ご卒業とのこと、おめでとうございます。
    これからのご活躍、心から応援しています。

  • 私はそれに気付くのにずいぶんかかってしまいました。
    自分には何かが足りないと言われ続け、絵を愛しているのに描けなくなっていました。
    大胆さが足りない、思いきりがよくないと言われ続けても、私は細部をギリギリまで書き込む精密画が好きで、人の髪の毛一本一本描きたくて、ただの似顔絵を1週間描き続けても出来上がらない無能でした。
    画家を諦めてグラフィックデザイナーになりました。時代が時代なので引く手数多でお金は稼げました。
    何年たっても夢は諦めきれないし、誰に評価されなくても描きたいものを描きたいと爆発できたのがつい最近です。
    あなたは早く気付いた。私よりずっと早く自由になれた。
    きっとあなたはこれからも辛かったり悲しかったりするときがあるだろうけど、きっとあなたは私より早く幸せのヒントを手に入れてるから、私はあなたを羨ましくも愛しく思います。

  • 私は東京藝大何て記念受験にも満たないと思っていました。でも、統合失調症になって22年目で大人の塗り絵と出会い、闘病のかたわら趣味として絵🖼を続けております。元々母親が税理士事務所の事務の補助の仕事をしており、私の母の夫(再婚した)が家に転がり込んで来た事もあり、学費が払えるめどが付かず、夜間の明治学院法学部に合格💮しました。藝大だろうが法学部だろうが病む人は病むんだと思います。悩んで迷って…答えが出る日が来ると信じることが継続は力なりという事にお互い繋がって行くと良いですね。最後に卒業おめでとう🎓㊗️御座います。

  • 団塊オヤジより

     私は定年後に趣味で油絵を楽しんでいるものです。あなたが描きたいと思うような絵を自由に描いていけば、自ずから道は開けていくのだと思います。お名前は忘れましたが、藝大の教授の退官記念展をみる機会がありました。藝大時の師であった野見山さんから「あなたは大学というという狭い枠からやっと卒業しましたね。画家としてはこれからだ」というようなコメントが寄せられていました。大学の先生や評論家の言葉は所詮、無責任で参考にはなりません。
     私の周りにも藝大卒で50年以上にわたって油絵を描き続けている方がいます。団体にも所属せず、画商もついていません。絵には、その描いた人の魂も含めて全存在が表現されています。リビングに飾り、飽きずに絵と対話していす。絵は鑑賞者の直感という感性で評価すべきものです。概念ではありません。 
     近現代美術史の文脈にそって独創的に描かれたり創作されるものしか価値がないという基準の混迷が、あなたを精神的な病にかかるまで苦しめた元凶でしょう。いま生きているあなたの感性で、自信を持って創作を続けてください。きっと、あなたの絵を理解する人がでてきます。

  • 私は美術大学を目指している高1です。
    TLで流れてきて読ませていただきました。
    途中途中ででてくる作品もとても素敵で心が癒されるようでした。
    この文を読み、まだ受験も始まっていないし、ましてやまだまだ初歩の段階ですが、不安が積み重なっていてすでに不安でいっぱいでした。
    この文を見てこれから受験に向けて、目指す大学に向けて今以上に努力しないと駄目だと気づきました。
    大学合格に向けて、勉強もしつつ、自分の好きな絵も描いていこうと思いました。
    このことに気づけてよかったです。ありがとうございます。

    ご卒業とのこと、おめでとうございます。

  • 絵を描くお仕事をしています。もうこの道に入って19年が経ちます。

    私も若い学生の頃は色々悩みました。
    その時似顔絵のアルバイトをやっておりました。周りの先輩達はみんな上手でカッコいい絵がかけて、私は果たしてこれでお金をもらっていいのかお客様は本当に満足しているのか頭の中がぐるぐるしていました。
    才能がある人が沢山いるところに放り込まれると、自分は一体何だろうここにいていいのかと物凄く葛藤しました。

    そして学校を出てからの人生、絵を描く事以外でも沢山悩んで苦しむ事も出てきます。複雑な人間関係、大切な人の死も経験すると思います。

    辛い事があってもそれでも絵を描くのが大好きで絶対辞めたくないなら描き続けてください。

    最後に私の文章力が至らずに、誠に申し訳ありません。

  • デッサン力?そんなもの最初からないですよ誰もみな 自動車メーカー勤務経験から書きますけどカーデザインにしても規制デザインにとらわれていたら未来の車も作れないです 最初から制限のないデザインでメーカー専属のカーデザイナーも最初のラフデザインは車に関係ない風景から書きますそのシーンにあったその生活の場にあったそこで走らせる車はこういうデザインのほうが自然でとても過ごしやすいのではないかな?という視点から始まります あと車の性のより空気の流れや体の動かし方から室内のデザインもされます 私は直接カーデザインにかかわっていなかったですが社内のデザイナーの女性たちがものすごい自由な発想で車社会から個人の社会感までこだわってイラスト書いていましたからその成果が優れたデザインへとつながっていくのだと思います 今の車は昆虫顔が多くてダサいという人も多いのですが人への衝突安全基準の規制強化がデザインへの縛りをしているからなのですフード(車のボンネット)の形状が人の頭部損傷緩和のため絵に半円の丸みを帯びたものにならなければならないバンパーは柔らかい樹脂で曲線なものでなければならない などたくさんの制限がありその制限の中でデザインしやすいのが昆虫スタイルだからです それに比べたら油絵や絵画のデッサン力の要求なんて意味ないんですもっと自由に書いてもいいんです私はそう思います

  • 芸大の美術科の学生は、大学のレベルに関係なく、同じ現象がありますね。心の不安定の代わりに絵のセンスがやってくるのではないでしょうか。美術は芸術、デザインは売れないといけない、美術は、誰かと競うものではないですね。

  • もう20年以上前の都内私立美大デザイン科を受験しました。
    浪人しても全部落ちて、結局専門学校ですが…浪人しても美大へ行けなかったコンプレックスみたいなのや、それなりに課題が厳しくついていけない不安、就職活動での挫折と諸々ありましたが、振り返ると楽しかったと思っています。

    なんだか勿体無いとしか言えません。

    結局人は無い物ねだり。
    まだまだお若いですしこのあと様々な経験を重ね、良い思い出に変わっていたらいいですね。

  • こんにちは
    同じ学科を卒業しましたが、肩書きの大きさと競争する比較することに心が負けて絵を描かなくなりました。
    棚村さんのご活躍はひょんなことから知り1,2年生の頃から頑張ってる子がいるなあ、と思って拝見していました
    その後どうしているのかなと思っていたのですがまさか同じようなところで困っていた時期があるんですね
    でもそこから這い出せたようでとても強いと思います
    多くの学生が周囲との比較や過剰な期待を勝手に思い込んで相談できないでいる状況が毎年あると思います。
    棚村さんの発信は誰かの救いになるはずです

  • すみません、追伸です。私は文章と絵でずいぶん長く飯を食べています。迷わない日はありません。30歳の頃、「不幸でいなければ、いい創作は出来ない」と、仕事関係の方に、しばらく言われ続けたことを、久しぶりに思い出しました。数年、その言葉にこだわっていましたが、今では、あれは、ただの言葉の暴力!!と言い切れます。私の何がしかを支配、もしくはコントロールしたかったのでしょう。当時私はじゅうぶん不幸でしたので、なんでこれ以上不幸にならなければならないのか?でも恐くて聞けませんでした。その後、もっともっと大変な生活や、人生を送っている人たちと、仕事関係で知り合い、自分が描く理由も解ってきた、、、と言うより、まんまの自分を認められるようになりました。描き続けらているだけで、苦しいですが、感謝の毎日です。書かせていただき、ありがとうございました。

  • はじめまして。彩加さんと同じ年頃の一般大学学生の子がおります。
    この一年、音楽に美術に、観客としてなんどか藝大に足を運びました。
    そのたびに、藝大の学生さんは自分の頭で考えてそれを言葉にする力を備えているなぁと唸ったものですが、彩加さんの文章を読んで、あらためてそのことを思い出しました。
    その若さで、これだけのことを自力で見つけてきて、文章にできる…… それだけ藝大で作品を作るという作業が厳しい試練だということであり、それを彩加さんが超えてきたということなんだと思います。
    芸術の世界のリアルはよくわかりませんが、芸術以外のことに取り組むにしても、この能力は素晴らしい結果をうむと思います。
    だからそう ….. 誰かに好かれようとなど考える必要はない、自らの欲するところをしていってください。
    ご卒業、おめでとうございます!

  • 42年前に東京芸大、多摩美を受験して見事に落ち、一年浪人後に再びチャレンジして多摩美生になりました。芸大は行きたかったけど、全然ダメでした。
    私はグラフィックデザイン専攻で、絵画専攻の貴方とは状況は異なるかもしれません。しかも40年の時間の推移がありますし。でも、ね。今思うことは、大学の4年間なんて大したことなくて、その後に得たことの方が遙かに大きかったということ。もちろん、いつもずっと、悩み、考え、闘ってきましたし、60歳を迎える今も新しいことに挑戦して闘っていますよ。
    大学なんて、これからの入口に過ぎません。嫌なことや、許しがたいことが起きたら、あなたが変えていけばいいのです。

  • 妻が女子美卒の画家です。
    将来が不安な時、焦りを感じている時に創作意欲が湧いていたようで、最近は創作意欲が落ちてしまっています。
    東京を離れ、刺激の少ない地方都市に住んでしまったこと、作品を制作しなくても不自由なく暮らせる未来が用意されてしまったことが要因です。才能を潰してしまっていることに責任を感じてはおりますが、人生の幸せとアートへの自己犠牲、どちらを選択するかは難しい問題だと思います。

    • すみません、Tさんへ、と前置きするのを忘れました。たぶん、から始まるコメントしました。失礼いたしました。

    • たぶん、これから先、思ってもいなかった、何かに刺激受けたり感動した時に、創作のスイッチが入ると思います!安定した生活=創作意欲の低下は、定説なのでしょうか?私は違うと実感しています!

  • 藝術とは心を取り出す術ですから、剥き出しになった弱い己との対話になった時に、外から攻撃を受けるのはとても辛いですね
    仕事と、藝術。
    お金と喜びは別の物と理解しておかねばならないと、己の人生の教訓を得た日々が懐かしいです
    素敵な絵ですね、これからも楽しんで下さい

  • 藝大に限らず、世界中大なり小なり画学生は似た様な状況を抱いているものですよ。韓国、中国なんかの美大受験は日本の比にならない位異常な倍率だし、現地の関係者に聞くと出てからも大変なのは同じです。だいたい、美術に限らず音楽でも何でも表現系は大学なんかが最終到着点では無い訳で、むしろ出発だったりきっかけだったりする事の方が多いので、一生かけて楽しみ苦しみを繰り返すメリハリの効いた人生を過ごせる選択肢を持てたと考えれば紆余曲折なんて当たり前。人によってはいわゆる出世街道真っしぐらの方も居れば、挫折感を抱いて細々と過ごされる方もおられるでしょう。これだけ人口が多ければどんな生き方を目指しても、淘汰され皆んな同じ様には歩めないと思います。好きな事をし続ける為には、生きていく為の生活の糧を調達する事との兼ね合いを如何にバランス良くして行くかと云う事ですかね。人間与えられた時間は基本皆同じですから、如何に時間を有意義に使い、やりたい事をし続けるかですね。後は人との関わりですが、これだけは個々のパーソナリティと周りの人との良い出会いの関係を願うしか無いですね。コミュニケーションは相手の立場から見た自分を想像し考え行動を伴ればだいたい成り立ちますよ。頑張って下さい。

  • はじめまして。
    美大卒です。
    私はデザイン科でしたが、似たようなことを経験しています。先生方や同輩に恵まれたにも関わらず。
    それは、他者との比較によって自分を追い込み、欠点ばかりに目を向けたからです。まさに棚村さんの仰るとおりです。
    美大を卒業してはや10年になりますが、ようやく棚村さんがすでに辿り着かれた場所に私もたどりつき、ありがたい巡り合わせをいただいて、現在デザインよりもしたかった、本当の自分の創作活動をしています。
    棚村さんの言葉をうけ、私は間違ってなかった、このまま進もうと背中を押して貰った気持ちです。
    卒業されるころにすでにご自身とご自身の作品を守る手立てに辿り着かれた棚村さんは素晴らしい。そして、こうして発信してくださったことに最大の感謝を。
    ご卒業おめでとうございます。
    今後のご活躍を陰ながら応援させていただきます。

  • どれもステキでしたが私は1枚目の絵が1番好きです。
    棚村さんの絵も好きになりましたが文章も好きになりました。

    病んで苦しんでいいものを産むか、
    病まずにいいものを産みたい欲求と闘うか、
    どちらを選ぶのか、どちらも正解だと思いました。

    仕事がほしい、そしていい仕事で返したい…
    魂を買う悪魔がいるなら引きずり出してきてこの魂売りつけたいと思うこともありますが、
    悪魔は才能あるところにしか近寄らないのかもしれません。(^◇^;)

  • フツーの私立大学に通う学生ですが、共感できるところはたくさんありました。特に「自分で自分の首をしめて安心した気でいるだけです。」の件とか。自分も在学中に病んだ経験があり、就活してる今でも苦しい時があるのですが、まさに今の状況と重なる部分は多いと感じます。「自分で自分の首をしめて安心した気でいる」ことは私自身陥りやすいことなのですが、戒めとして心に刻んでおきたいと思います。

  • 美大を卒業して、絵が描けなくなった30代主婦です。
    卒業してからずっとモヤモヤしていたものが、この記事を読んですっと落とし前をつけたかのようにスッキリしました。

    教授や批評家に言われたのは、自分だけじゃ無いんだ…と。

    ありがとうございます。

  • こんにちは。私は同じ大学の音楽学部を卒業しました。
    やはり人と比べる心の癖があって、芸大は辛くなり結局他大学の院に進みました。
    比較せずに、みんなと仲良く、自分らしい作品を作れる人がいるとしたら本当にすごいなと思います。
    でも棚村さんのように悩みながら等身大で描かれた絵もまたほんとうに素晴らしいです。
    大事なのは、いいものを作るために不幸になることを手段として選択してしまうのではなく、
    悩んだ結果として自分なりの答えを提示できて、その上でやりがいや幸せを追求していけることなのかなと思いました。
    応援しています。

  • 大人から見ると、18くらいから20代初めの一番自意識が過剰な年頃なのに加えて、才能なんて形のみえないものの有るなしに振り回されるわけで、集団が先鋭化してしまって互いに辛辣になりますから、病まないほうが不思議なくらいの環境ですよ。

    これから芸大に行かれる子たち、今いる学生たち、油画、日本画、専門はどれでもいいけど、(勇気をもって)互いをなんであれほめてみる、互いにポジティブな言葉をかけてみる、ということを意識して、互いのクリエーションを尊重する姿勢を全学で作り上げていく、ということを意識してみると少し校風も変わるんじゃないだろうか。アグレッシブなヤツって必ずいるけど、そいつだって褒められて悪い気はしないだろうし。

    これじゃ煮詰まりすぎるよなと思うのであれば、絵や芸術とは関係ないところでバイトして、それをきちんとやり遂げてみる、普通の社会人、普通の人たちがどうやってきちんと生きているのか、芸術的な才能が全く関係ない普通の仕事を徹底してやってみると、ある意味リハビリになるし、世界は思ってるより狭苦しくないと思えると思う。
    厨二病が高校出てもまだずーっと何年も続いてるような状態や環境なわけだから、ヤヴァイと思ったら一旦外に出てみるといい。
    それから普通の社会人の生活をバカにしない、一般就職したら負けとか言って進路を追い込まないことかな。食っていけなきゃしょうがないわけで。

    しかし、ポスドクの問題と同じだよなぁ。

  • ちょうど今デザイン系の高校に通っている高校生です。デザインと言う名の絵の課題に追われている日々を送っています。周りと競走して自身を無くしてしまうこと、本当によく分かります。私の学校は五教科と同じように絵にも五段階評定が付きます。入学して以来、2以外に変わったことはありません。4以下を取った事がないと言う生徒もいます。もちろんみんな趣味でも絵を描きます。自分とは比べ物にならないくらい素敵な絵を描きます。私にとってこの学校はあまりにも息苦しく苦痛です。倍率が高く沢山勉強して合格し、大好きな絵が沢山かけると思っていた学校。でも今は絵を楽しく描くということができず自分の才能を貶し他人の評価を気にせずにはいられなくなり絵を描くことが苦痛でしかありません。
    また絵を楽しく描きたい。たまたまTwitterで見つけた彩加さんのこの文章を呼んでふとそう思いました。心の中の何かが軽くなったような気がします。ありがとうございました。

  • 美術雑誌の仕事をしているものです。
    自分なりの解決策を見つけられた棚村さんは偉いと思います。

    それと同時に、信頼できる大人(アーティスト、評論家、キュレーターなどのうち、ごく少数の良心的な人々)が一人でも側にいてアドバイスや応援をしてくれていたら、また違った時間が過ごせたのではないかとも思いました。

    サイト内の作品を拝見しました。展示の機会があれば、是非実物を見せて頂きたいと思います。

  • 私も子供の頃から絵が好きで、芸大にも憧れていました。
    高校時代に実力を痛感して芸大への道は諦めましたが、今では一からデザインしてモノをつくる製造業を営んでいます。
    同業者の中では芸大出身者も多く、彼ら彼女らの感性は流石に秀でており、今でも時折刺激を受け続けています。

    そんな漠然とした羨望を抱いていた芸大、特に東京藝大 というと芸術系の最高峰と思ってましたが、なるほど、やはり中では熾烈な競争があってイメージとは裏腹にとても厳しい環境なんですね。

    ただ、棚村さんはそんな厳しい環境の中で、逆境を乗り越える術を見出だせたことは素晴らしい。
    「3つの方法」は、社会に出てからでもそのまま役立つ方法論です。
    芸術に限らず、ビジネスでもスポーツでも、様々な分野で世の中は常に他者からの評価の目に晒されており、特に現代のネット社会ではその傾向が顕著です。
    そんな不自由な社会の中でも楽しみながら幸福な人生を歩んでいく為には、いかに自分に肯定的であり続けられるかがとても重要です。
    その方法を大学生活で見出だせた貴方は、とても幸運だったのかも知れません。
    そう思うと、藝大時代の辛さというものもあながち無駄ではないとも思えるのですが、ただ、精神を病んでしまうほど追い詰められるのはいささか問題でしょうね。
    今後は大学側のケア体制ももっと強化する必要があるでしょう。

    私自身、商品をつくる上で、若いときはとにかくオリジナリティを出そうとストイックにコンペに応募しまくっていた時期もあり、審査員の○○大学の教授などから酷評を頂くことも多々ありました。
    ただ、審査の評価ばかりに追求してしまうとドンドン訳がわからなくなって終いに自己否定におちいってしまう…
    絵の世界とも共通してるかも知れないですね。
    きっとクリエイティブな職業はみなそうなのでしょう。
    今では自分の気持ちに正直に、そして自分自身を信じるモノづくりに励んでいます。
    (そうじゃないと楽しく仕事なんてできませんしね(^^))

    棚村さんも今後の活動の中で様々な試練もあるかも知れませんが、何にも縛られることなく自由な創作をどうか続けてください。
    機会があれば個展にも足を運んでみたいと思います。
    ご卒業、本当におめでとう。

  • 棚村さんは、「病まなくても良い絵を描くことが出来る」ということにチャレンジしてほしいと思います。

  • 所謂、画壇という組織の中にいて下手くそな絵を描いて三十年余り、あなたのいうとおり好きな絵を描いて行けばいいのではないのではないでしょうか?成績や評価を気にする会社組織と同じように評価ばかり気にしていたら自分の絵が描けないのではないのでしょうか?個展などなされるなら観に行きたいと思います!

  • 私は芸大を3回落ちて武蔵美に行きました。皆さんに知ってほしいのは芸大(油)は日本中の高校生が競争して最も絵の上手い55人が入るということです。それは野球で言えば甲子園の決勝に残った2チームのスタメンなのです。少しでも野球の経験があれば甲子園に出ることのすごさが解るでしょう。そして甲子園の決勝2チームからプロになれるのは多くて2、3人なのです。芸大を出てプロになれる人も同様です。しかし、平凡なサラリーマンや学校の先生が「私、実は甲子園に出たことがあります」と言ったら例えば、王、野村、張本さんクラスの野球人であれば必ず「え?甲子園に出たのですか?それはすごいですね」と言うはずです。そのくらい芸大に入るのはすごいことなのです。芸大に現役で入るのは甲子園で1年で(2、3年を差し置いて)大活躍をすることなのです。それでもプロになれるとは限りません。私は武蔵美を出てプロの画家になりましたがそれは(実力ではなく)幸運と偶然によるものです。幸運と偶然でプロの画家になれることはありますが幸運と偶然で芸大に受かることはありません。彼女がプロになれるか解りませんが芸大に入った(甲子園で大活躍した)ということはそのくらい素晴らしいことなのです。誇りを持ってどうか幸せな人生を歩んでほしいと思います。

  • 芸術は「作品を見聞きした見知らぬ人を感動させ幸福にする」事はままあるが「表現者本人とその周囲の人を幸せにする」事は少ないと思う。それは才能の多寡とはあまり関係無くて、歴史上の大マエストロと言われた人々でさえその生涯を知ればそう言うものなのだな…と思い知らされる。いやむしろ偉大であればある程、光が強烈な分、影も濃い様に思う。幸せになりたかったら芸術なんかやってちゃダメで、芸術と幸福は実は元より相反するものなのではないか…と自分は思ってマス(´ι _`;)

  • 岐阜のど田舎からの同郷のものとしてこんな言葉を贈ります。
    ピカソの言葉です。
    若くなるには時間がかかる

  • へ~ 大変なんですね

    趣味で絵 かいてますが
    やっぱりうまい人は苦労してるというか 努力してるというか

  • 芸術家なんて基本的には人のことには興味がないように思います。結局は自分が世に出ていくことにしか興味がないからです。上手いからプロになれる世界ではないように思います。様々な要因が重なり、そうなるのでしょう。世間ではそれを才能という言葉で言い切ります。人の競争ではありません、何かを成し遂げには何かを犠牲にするしかありません。とにかく何とかなるまで継続するしかないように思います。

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