東京藝術大学を入学して卒業してみた

私は3月26日東京藝術大学美術学部絵画科油画専攻を卒業しました。おかげさまです。本当にありがとうございます。

地獄のような4年間でした。長いようで本当に長かった4年間について、どんなことをしてきたのか藝大の学生生活を振り返ろうと思います。

天真爛漫な1年生

東京藝術大学を現役で合格した私は当時18才でした。美術の右も左も分からずとにかく前へ進むことしか考えていませんでした。1年生の最初に作った作品は、自作のパラパラ漫画の前で、自分がカラオケを熱唱するという若気の至りのようなパフォーマンスでした。

藝祭

東京藝術大学では9月に藝祭というでかいイベントが開催されます。在学しているほとんどの生徒が作品を展示するので、学校が丸々展示空間になります。1年生は神輿班、法被班、模擬店班に分かれて制作します。

神輿

1年生は入学してすぐ藝祭の神輿制作のために動き出します。私たちはオリジナルキャラクター「ピケとぅー」を制作しました。

ピケトゥー(某人気ゲームの黄色いあいつではない)

各科で制作された神輿は順位づけされます。上野公園の広場でアピールタイムがあり、みんなで神輿を担ぎます。私たちのパフォーマンスはピケトゥーを神の子とし、崇めるパフォーマンスでした。(みんなをひれ伏させて叫んでいるポニーテールの女は棚村です)とてもシュールなので見てほしい

法被

1年生は神輿と一緒に法被もします。各学科で作った法被は、法被コレクション(略してハピコレ)のパフォーマンスで順位づけされます。私はそのパフォーマンスチームの一人で、受験生役を演じていました。元気で面白いので見てほしい

2014 年 ハピコレパフォーマンス「ホワイトファイブ」

唯一のインスタレーション作品

たくさんの作品を作りましたが、一番心に残っている作品が、斎藤芽生先生の「東京マケット」という課題で作ったインスタレーション作品です。この作品は自分で作った街の中に、プラレールを走らせるという作品でした。そのプラレールには小さな懐中電灯が乗せられていて、街の影が動く仕組みになっていました。

 

取手アートパス2014

1年生後半、取手アートパス2014という大きな展示がありました

この展示は先端藝術表現科、その他美術学部1年生全員が参加する一年生の一大イベントでした。私は広報を担当しており、取手アートパス2014のCMに出演しました。18才棚村彩加がめっちゃ可愛いのでみてほしい

東京藝術大学 取手アートパス2014

取手アートパス2014では自分で作ったF100号キャンバスに油絵を描きました

「夢を語る少女」F100号 油彩

「夢を語る少女」は、私の大好きな人の死から描かれたものでした。その人はよく私に夢を語ってくれて、いつもそれに元気付けられていました。彼女が死んでしまったことが本当に悲しくて、私の絵の中だけでは生きていてほしいと願って作りました。講評でボロクソ言われて悔しくてトイレで泣いたのがいい思い出

熱烈な2年生

藝大生というだけでチヤホヤされ、差別され、消費されていくのを感じた。

ミス藝大でグランプリを取る

2年次、私はミス藝大のグランプリを受賞する。とは言っても東京藝術大学のミスコンは他の大学とは変わっていて、「モデル担当」「美術担当」「音楽担当」の3人チームで制作します。私は美術担当をしていました。当時私がメンヘラだったのもあり、モデルのアンニュイで切なげな映像を撮りたいと思い、病みに病んだ映像を制作しました。当時付き合ってくれた二人に本当にありがとう。

ミス藝大2015チームB 「ふみきり」

ミス藝大はPR動画とは別に、藝祭当日にパフォーマンスを披露します。私たちのチームは食卓で美味しくご飯を食べていると、棚村が食卓に身投げしてくるという狂気のパフォーマンスでした。

初めての個展を開催する

当時私は大学の同期の森山亜希に強い憧れを抱いていました。彼女個展していたスペースを借りて、カフェギャラリーで個展を開催しました。初めての個展では100人くらいの人が来てくれました。

自分を変えたくて坊主になる

いい絵が描きたい。と強く願っていました。「早く憧れの作家に近づきたい」「もっといい絵が描けるようになりたい」と焦りに焦って、坊主にしたいなぁと思うようになりました。坊主になったら違う世界が見えるような気がしていたからです。だけど、ずっと坊主になる勇気がありませんでした。そんな時、大学生訪中団に推薦されて中国へ留学することになり、中国へ行くことになりました。北京から西安に向かう飛行機で広大な砂漠を見たとき、こんなに世界は広いのだから私一人坊主になっても世界は変わらないなと思い、坊主になろうと決意しました。日本に帰ってすぐ亀有の1000円カットで坊主にしました。髪を剃ってくれたお兄さんが「本当にいいの?」「病気なの?」と心配してくれたことが今でも心に残っています。全て剃り終えて下に落ちた髪の毛を見て、あぁこんなゴミを頭につけていたのだなぁと思ったのが忘れられません。

 

ビートたけしさんと共演する

良くわからないまま「ビートたけしのTVタックル」に出演する。自分が消費されているようで怖かったです

取手アートパス2015

当時アフターピルを飲んだ時に描いた絵。副作用が酷くて死にそうだったのを絵に描きました

2年生進級展

元気になりたくて、顔面で音楽を表現しました。元気そうだけど闇が垣間見えます

記憶が無い3年生

嫌なことがありすぎて、この期間の記憶が無いです。

ミス藝大2016

懲りずにミス藝大に出る。女性アイドルグループTNM48をナナシロと作る。音楽担当が途中で逃げる

3331「無二無二」

三年生の進級展示はアーツイン千代田で開催された

初めてF200号の絵を描く。名古屋の人に買われていった

元気になって来た4年生

合コンで出会った東大生と付き合い始めたら鬱が治った。

初めて作ったアニメーション作品

当時この世から消えたすぎて棚村華恵子という偽名で活動していました。

卒展

卒展で必要以上にプレッシャーを感じていました。150号キャンバスを縦に二枚連結させた巨大作品を作りました。三ヶ月で失敗作も含めF150号を3枚描き切ったけれど心はボロボロでした。ヒィヒィ言いながら作品を制作していました 

まとめ

私は東京藝術大学の卒展修了作品展の委員長をしていたので、卒展で販売した油画科のカタログに委員長の紀行文が掲載されています。その文書が感じたことの全てです。

【愛あるエンディングのために】

明日のエピローグを書くような感覚で、文章を連ねたいと思う。

誰かと戦うには、戦う価値を知らなければならないと学んだ四年間だった。
盲目に突き進む日々の中で私が生み出したのは敵だけだった。
友達が敵に変わり、人間不信になった時には、全ての言葉が明朝体に聞こえていた。

背伸びをしていることに気がついたのは大学2年生のときのことだった。
サッカーボールがゴールに入ってもかっこ悪いと思ってシュートを繰り返し、木に引っかかって終わる作品を何枚描いただろう。

こんな作品はゴミだ。何も触ってない真っ白なキャンバスの方がよっぽど価値があると、実力の無さを嘆いた20歳を今でも忘れない。
かつての私は未来の心配ごとばかり考えて、心は上の空だった。
それが結果的に心を盲目にさせ、鬱から人間不信へと発展したのだ。
自分で自分の首を絞めて、安心した気でいたのだ。

今思う。ただ漠然と脈を打っているだけで、私は時の流れに身を任せて生きていくことができる。
私は自分の時間で生きればいいのだと。

今夜は星が綺麗だ、風も心地が良いと、今を感じて生きていけたら最高だと思う。

鬱が治ってから、秋のような暮らしを頭に浮かべることが多くなった。
セピア調に色褪せた景色を何度も夢に見てしまうのは、まだ心が生きている証拠なのだろう。

過去でも未来でもなく、今一瞬一瞬を全力で生きることに心を委ねたい。そういう画家になりたい。

そろそろ戻ろう現実に。パラレルワールドでまた。

棚村彩加

 

 

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