人を幸せにする絵画は存在するのか

こんにちわ、画家の棚村彩加です
私は東京藝術大学の学生時代、ある1つ大きな悩みにぶつかりました。

「私は何のために絵を描いているのだろう・・・」と

最初私は、人を幸せにするために絵を描いているのではないかと思いました。自分が描いた絵が誰かの幸せに繋がっていると信じて盲目に突き進んでいました。

 

そんな中、小5から飼っていた大切なセキセイインコが死にました。

このとき、こんな小さな命を救うことができない自分はなんて無力何だろうと

夜の不忍池で絶望したのを覚えています。

                           夜の不忍池は絶望するのにぴったり!

今まで、人を幸せにしたいと思って絵を描き続けてきたけれど実は自己満足なんじゃないか

自分が絵を描きたいがために、勝手に世間から求められているものだと盲目に信じ込んで喜んでいただけなのではないか。

本当に人を幸せにしたいなら医者になればいいのに、どうして絵描きになってしまったんだろうと

心から思いました。医者はたくさんの人々を助けることができます。

 

例えば目の前に喉が渇いて死にそうな人がいるとします。

そこで画家は画用紙にペットボトルの絵を描きます。

しかしどんなに写実的に描いても決して本物のペットボトルにはなりません

画家はどう頑張ってもその人の喉を潤すことはできないのです。

 

 

もう1つ、カツカレーの例をあげます。

私は東京藝大で学部2年生のとき、私はよく音楽学部にあるキャッスルという学食でお昼ご飯を食べていました。

特にキャッスルのカツカレーは注文してすぐに揚げてくれるので熱々の柔らかい肉を食べることができます。このカツカレーを食べることが本当に幸せでした。

でも時にはお金がなくてカツカレーが食べられない日もありました。そんな時、

自分が描いたカツカレーの絵が本物のカツカレーになったらいいのになぁ」

「どうして私の絵は本物のカツカレーにならないのだろう」

悲しく思ったことがあります。

 

絵は紙と絵の具でしか無いし、本物の水やカツカレーになる訳じゃ無いけれど

いつの日か「水が喉を潤してくれるように」、「カツカレーを食べて幸せな気持ちになるように」、

私も「絵画で人を幸せにしたい」と思うようになりました。

人を幸せにする作品とは何か

そこから「人を幸せにできる作品とは何だろう」と考えるようになりました。

絵画は人の命を助けることはできないし、

描いた絵がカツカレーになるわけじゃ無いけれど

絵画に幸せの可能性は無いだろうかと考えていました。

  • 人が好きなモチーフを描くことで人を幸せにできるのか
  • 自分が好きなモチーフを描くことで人を幸せにできるのか
  • 宗教画は人を幸せにできるのか

という考察をしました。

結論を先に言います。全人類が頷けるような唯一の「幸せになれる絵画」は存在しないという結論になってしまいました。こんなネガティブな結論になってしまいましたが、本当は前を向いて生きて生きたいのです。絵画に夢を見て生きて生きたいのです。誰かこの問いの答えが分かる方、是非コメントで教えてください。

人が好きなモチーフを描くことで人を幸せにできるのか

例えば人が好きなモチーフとして「花」があります。

最初、私は花の絵を描けば人はみんな幸せになると思いました。

 

しかし、むかし花にトラウマを植えつけられた人がいるかもしれませんし辛い思いをした人もいるかもしれません。お花という言葉のイメージから葬式の花を思い浮かべる人もいるかもしれません。

 

他にも人気なモチーフとして「猫」があります。

ふわふわで可愛らしい仕草をする猫ちゃんの絵を描けばみんな幸せになれると思いました。

 

しかし、むかし猫にトラウマを植えつけられた人がいるかもしれませんし、猫アレルギーの人がいるかもしれません

だから全人類が幸せになれるようなモチーフは無いと思いました

どんな絵を描いても、喜ばれても、誰かが傷つくのではと思うのです

自分が好きなモチーフを描くことで人を幸せにできるのか

絵画は本当の意味でモチーフを愛することができないと私は思いました。

私には好きなモチーフがあってそのモチーフの絵をよく描くのですが、以下のようなことを考えると自分の筆が止まってしまうように思えました。

例えば私は小鳥が大好きです。

そこで大好きな小鳥を、綺麗な絵の具で描きます。

画面の中で綺麗な小鳥の絵が描けて満足します。

しかし多くの絵の具には毒があります。

最後回り回ってその排水を飲んだ小鳥が死にます。

そう思うと自分は本当の意味でにモチーフを愛していないのではないかと思うのです。

排水をだすくらいなら絵を描かないほうがよっぽど小鳥のためになります。

自分の描きたいものを殺してまで美しい絵を描いたとして、本当に人は幸せになれるのでしょうか

宗教画は人を幸せにできるのか

私は最初、人を幸せにできる作品は宗教画だと思いました。

私には小さい頃から信じてきた神様がいたからです。

宗教画を通じて聖なる言葉や天国の風景を見ることが幸せへの道なのではないかと思いました。

だから両親から教えてもらったその神様の教えを、より多くの人に広めることが幸せだと本気で思っていました

 

しかし、私が学部3年生のとき自分が信じてきた宗教がカルト宗教だということが分かりました。

実際、私の両親からお金を何百万も取っていたということを知ったのは最近のことで、最初は嘘だと信じることができませんでした。

生まれた時からずっと信じてきた神様や世界が嘘だと疑うことはとても苦しいことでした。それが原因で家庭も崩壊しています。

実際宗教はお金に成るので多くの人が関わっています。神仏を想う時間が好きな人と、その場所を提供する人とがいますが、その双方で考え方が全く違う場合があります。

私は改宗してクリスチャンになりましたが、本当に神様がいるのか、どの神様が本物なのか真実は分かりません

宗教絵画によって搾取する側と、される側にならないように。洗脳する側と、される側にならないようにと心から思います。

どのような場所でも聖域はありません。それぞれ、目的が違い、その場所に居ます。

 

この世に1つ、全人類がうなづけるような宗教がない限り宗教絵画で人を幸せにするのは難しいと思いました。考えても、考えても、ここには唯一の幸せは無いように思えました。

そもそも人にとっての幸せとは何か

このように考える前提に、人にとっての幸せが定義されていないから迷うのでは無いかと思いました。

そもそも人にとって「幸せ」とはなんなのでしょうか。

幸せとは何か

1. 運がよいこと。また、そのさま。幸福。幸運。「思わぬ―が舞い込む」「―な家庭」

2.めぐり合わせ。運命 3.運がよくなること

(Google辞書から抜粋)

という意味が出てきました。どこにも「健康に長生きすること」「美味しいカツカレーを食べること」と書かれていなくてびっくりしました。幸せというのはどうやら運が良いことを指すそうです。

運がいいとはどういうことでしょうか

毎朝の占いで「今日のラッキーアイテムは絵画です」と出てくるのをまだかまだかとソワソワしながら待っていなくてはならないのでしょうか?

おみくじで大吉を引けば幸せなのでしょうか。

開運効果のある絵画を描けばいいのでしょうか。

私は違うと思いました。私にとって幸せは健康に生きたりカツカレーを食べることなのに、どうしてこんなよく分からない定義をされなくちゃいけないのだろうと腹が立ちました。

幸せの定義ですら曖昧で人それぞれなのに全人類を幸せにできる絵画を描くなんて無理なのでは・・・と思いました。

それでも、私の絵画の前で泣いてくれる人がいた

藝大学部3年生のとき、私はF200号の「心へ」という油彩を描きました。

心へ F200号

この作品の英訳は「Dear my heart」、つまり自分の心に向けた心象風景でした。

最初は人を幸せにできる絵画を描きたいと思いました。

 

だけど人の幸せのため、人に好かれる絵を描こうとすると次第に何を描いたらいいか分からなくなりました。

例えば上記でもあげたように「このモチーフは多くの人が好きかもしれないけれど、このモチーフにトラウマがある人は不幸になってしまうかもしれない」と考えてしまうのです。

そんなことを考えているうちに、こんな下らないことを考える時間があったらよっぽど筆を動かした方がマシだと思いました。

制作中、何も考えられないように身を滅ぼすような音楽を爆音で流して制作しました

誰のためでもなく、自分の世界を描きたいと思ったのです。

 

この作品は東京藝大学部3年生学外展「無二無二」(アーツイン千代田3331)で展示しました。

展示の最中、同い年くらいの女の子が私に話しかけました。

彼女は私を見て「あなたの絵に会えて本当に良かった!」と目の前で喜んでくれたのです。

彼女の話によると、彼女は私の絵を30分も見てくれて、泣いてくれたそうです

暖かい黄色から、死んだお母さんのことを思い出したと話してくれました。私も感動して涙が出そうでした。

 

私は彼女の母親を描いた訳ではなかったのですが、この絵を描いて本当に良かったと思いました

結局、なにを描けばみんな喜んでくれるの?

そもそも絵画は紙と絵の具でしかないので、生きる上で需要が無いのかもしれません。

目の前にステーキの絵と本物のステーキがあったら、美味しいステーキを選ぶかもしれません。

だけど画面の中で魔法が起きたとき、人が感動してくれたり心に響く作品ができることが何となく分かってきました。しかしどうしたら魔法が起きるのか未だに分かりません

誰しも、みんなが喜ぶ絵を描きたいと思うけれど、それを考え始めると何も描けなくなります

例えば私見たく「人を幸せにする絵画は何だろう」と考察をしてみても「幸せになるモチーフ」とか、「絵を描く意味」とか「幸せとは何だろう」とか考えても、人それぞれですし、そんな単純なものでは無いと思います。

全人類が頷けるような唯一の「幸せになれる絵画」は存在しないと思うけれど、誰かの心に響くような作品は作れる気がするのです。

言語化して論理的に考察できるものではないし、どんな絵がいい絵なんて分かりません

答えが見つかるまで描き続けたいと思います

私は22年の知識しか無いので、いろんな方の意見をお聞きしたいです。

ぜひコメントをいただけたらと思います、よろしくお願い致します。

 

10 件のコメント

  • 芸術が生み出すものって何だろう?上手くなったところで、果てに何があるか分かりませんが、問い続けて、それでもなお絵に向かわれるタナムラさんは、タナムラさんの絵は素晴らしいと思いました。

    創作の需要について、考えます。絵は視覚に対して表現する芸術だと思います。
    私は、絵には2つ役割があると思っていて、1つは、物事の見方を増やしてあげること。見た人に、世の中には豊かな色があるということを教えること。

    2つ目は、人に孤独じゃないことを教えてあげること。タナムラさんの描いた絵で涙を流した人は、自身の思う情景に近いものを感じて涙を流したのではないでしょうか? 絵描き屋さん以外は、自分の気持ちを想像することはできても、実際に描くことはできません。

    分かりづらいコメント、失礼いたしました!
    絵、応援してます!

  • 現在、美大で絵を描いている者です。
    私も全く同じことを考えていました。人々を自分の作品によって幸せにしたい、と。
    音楽を聞いて元気が湧いてきたり、心を震わせるように絵画で人々を勇気づけたり幸せにしたいと考えていました。
    ですが、そのようなことを考えれば考えるほどそういった「理想」とはかけ離れていってしまい、絵を描くこと自体にも疑問を覚えたこともあります。
    結局は、他者には他者の自我がある限り「全ての人々」に対して幸せにできる絵画というのは存在しないという結論に私も至りました。
    しかし、この考えは傲慢でありつつもとても美しいと思ったのです。矛盾を抱えても尚、描き続けることは何も間違ってはいないと私は考えています。
    その時私は「絵を見た人たちが幸せになって欲しい」という結果を「絵を見た人たちに幸せになってもらう」という目的にすり替えてしまったことに気がつきました。
    全ての人が「感動」できなくても、「理解」できるように美術が学問として大量の知識を伴うのかなと思います。
    たくさんの人々を幸せにはできないかもしれませんが、少なくとも私の絵を見よう!と思ってみてくれる人が幸せまでとはいかなくても、作った作品をちょっといいなと思ってくれるように、また自分が描きたいもの自由に描けるようになら頑張れると思うので頑張っていこうと思います。
    コメントっていうか自己語りみたいになってごめんなさい。
    応援しています。

  • 私はこの春から農業を始めました。
    美味しい野菜を提供するのは当たり前ですが
    そもそも美味しい野菜ってなんだろう
    とずっと考えてきました。

    幸せと同じように
    美味しさも人それぞれ。

    だから、いくら私が美味しい野菜!と
    胸を張っても不味いと感じる人はいるわけです。

    食べて不味いものは不味いし
    美味しいものは美味しい。

    人の心は操作できません。
    ですが、
    自分の思っていることは本当です。

    野菜が美味しいと私自身が感じるなら
    それは本当の事です。

    例えば
    不味いと感じた人がいた時に、
    「お前の舌は狂ってる。
    美味しいと感じるように手術してやる」
    というのは、間違っていると思うのです。

    それは、野菜カルト教団のすることです。
    野菜カルト教団は、
    「健康·安心安全·オーガニック」
    を唄い、世にあたかも、これさえ食べれば
    健康になれますよ
    というメッセージを送ります。

    健康になれないのは、量が足りないからだ
    質の悪いものを食べているからだ
    といってどんどん購入させます。

    で、信者は、大して体調も良くなった訳でもないのに
    こんなにいい物を食べているのだから
    健康になれなていのはおかしい
    きっと健康になっているはずだ
    と勘違いを起こします。

    それは、自分の感覚に嘘をつき、
    教祖から押し付けられた価値観の中を生きているに過ぎません。

    自分の感覚に嘘をついている時点で
    何をやっても嘘になります。
    しかしながら、野菜カルト教団は、
    信者を完全に洗脳しきり
    教祖様のつくった野菜を食べればすべて救われる
    と思い込まされています。
    本当は不味くてどうしようもない野菜なのに。

    でも、新たな信者を連れてくると教祖から褒美が貰えるので
    信者も次から次へと
    新たな信者を勧誘していきます。

    上記、野菜カルト教団の話は例え話です。

    長々となりましたが
    ここで申し上げたいのは

    「押し付けるのはアカン」

    ということです。

    自分は、自分の農園の野菜を美味しいと
    思っている。美味しいかどうかは食べた人次第。
    そんな中でも
    美味しいと感じてくれる人のために
    真摯に野菜と向き合い続ける。

    という事を
    しています。

    絵をみて涙を流した人がいるように
    もしかしたら、私の野菜で感動してくれる人がいるかもしれない。

    ただ、野菜が存在していることを人に知ってもらわねば何も始まりません。
    棚村さんが個展やSNSで堂々と披露しているように

    「私はここにいる」

    ということをもっと発信していきたいと
    思ったのでありました。

    棚村さんの事は、自分の好きな東京大学教授のリツイートで知りました。ちなみにその教授も絵を書いています。

    その記事を読んで、
    自分の考えを堂々と述べている。
    カッコイイ。
    本当に素晴らしいと思いました。

    そして今回の投稿をみて
    思わずコメントしたくなるほど
    テンションあがったことを
    正直に申し上げたいと思います。

    ドイツの哲学者ショーペンハウアーが
    「言葉の芸術家」と呼ばれたように、
    棚村さんの記事からも
    ことばの芸術のようなものを感じました。

    ありがとうございました。

    これからも応援してます。

  • こんばんは。
    先日はわざわざ来てくださり、ありがとうございました。
    変わらず、すごい問いを豪速球で投げてきますねー^^;汗
    でも、作り手は少なからずこういう「自問自答」をされているのだと思います。
    私自身は、「作り手さんご自身が、楽しかったり、納得したり、全身全霊をかけたり、それを世に出すことに納得されているのでしたら、それがよいのではないか…」と思っています。
    少なくとも世界中で、生み出した本人だけは納得していてほしいかな。根拠のないものでも全然よいと思うので。
    むか~し、陶芸家を目指している人が「俺が作ることで産廃を生み出しているのではないか…」と言って、作るのをやめた人がいました。
    陶芸が大好きだった若き私はなんだか無性に腹が立ちました。
    少しでもそんなことを思うなら、それはやっていることに熱中・全身全霊をかけていないので、いろんなことに失礼だと思いました。
    まあその人は結局、作ることにご縁がなかったのだと勝手に解釈しています。
    ご自身に正直に…。きっとこれはどんなことにも当てはまるのではないか、と思っています。

  • 幸せって結局、その人自身がふと
    「あ、いま幸せじゃん」と思ったときそれはもう幸せなんだと思います。
    恋人と一緒にいて幸せだと思うもいれば、朝目が覚めて、天気が良いことで幸せを感じる人もいる。

    けれど生きていくうちに、そんな心は言葉や感情、色々なものに引っ掻かれて、幸せを感じるどころではなくなっていく。

    そんなとき、芸術がそのいっぱいいっぱいな心のなかで、隙間を空けてくれる(言い換えると、埋めてくれる)存在なのかなあとこの文章を読んでて感じました。

    彩加さんに頂いた鳥の絵は、今私の家で魔法をかけてくれています。とても幸せです。

  • この忙しく厳しい現代社会の中で芸術…

    いまは芸術の時代ではないのです。

    芸術は基本人の役に立ちません。
    基本的に自己満の世界です。

    私は基本美術に全く興味がありません。
    絵を観てもあまり感動しません。

    ただ私は過去に一つだけ絵を観て泣いたことがあります。それはどんな絵だったかというと戦争の絵です。リアルに描かれていて、私はそれを観て過去にこんな時代があったのだと。。絵を見なければ気付かなかった。知らなかった。

    いつか水が飲みたい…など思わせる未来の絵も大切かもしれませんが過去も大切。

    どんな時代があったか

    いま生きる人達に絵で伝えられることがあるはず。幸せとはなにか気付かせることができるはず。

  • 美術・音楽その他、あらゆる芸術作品は、「全ての人」に「刺さる」事はありえないと思います。
    変な例えになるかもしれませんが、世の中に存在するあらゆる「製品」「商品」も同じだと思います。
    具体的な製品を挙げる事は避けますが、世にある「商品」の中でヒットしたモノは数多いでしょうが、万人受けを狙ったモノ達は、結局は中途半端な製品だったりして期待されていたほど売れなかった、なんてケースは腐るほどあると思います。
    逆に、例えニッチでも「誰か」の心に「刺さる」モノは必ず一定レベルのヒット商品になる。
    あらゆる芸術作品にも、同じような面があるのかな、とは思います。
    極論すれば、全世界の全人類に受け入れられて、彼らを幸せにするモノなんてのは、芸術作品であろうと商業製品でおろうとありえないワケで…。
    でも、だからこそ逆に、芸術作品だったり商業製品だったりが無意味だという事にはならないとも思います。
    「誰か」を幸せにできる、少なくともその可能性がある、と信じてやっていくのが吉…なんだろうな、と思います。
    エラそうな事を書いて申し訳ありませんが、棚村氏の言葉に感じた事を素直に書いてみました。

  • 音楽をやっている者です。震災の時、全く同じことを考えていました。チャリティーコンサートをやるにしても、それは落ち着いてからできることで、まず必要なのは食料や医者で、音楽はなんて無力なんだろう、たくさんのプロはいるけれど、そこまで大きな存在にはなれる自信もなく、打ちひしがれていました。似たことを考えている人がいるだけでもなんだか安心しました。
    私もまだまだ答えは見つかっていませんが、結果として何かしらの形で人のためになるならゆっくり進めていけばいいんじゃないかなと思っています。

  • 人を幸せにする絵画は存在するか?
    幸せな気持にさせる絵画は存在します。
    共通の1枚ではなく、人それぞれ違うことでしょう。

    あなたには、幸せな気持になれる絵画はありますか?
    まずは、自分が幸せな気持になれる絵画をめざすのはいかがでしょうか?

    私は、救われる絵画を描いてほしいなあ〜きっと幸せな気持になれる絵画も救われる絵画も共通点が多そうですね。
    (希望です)

    私は土鈴(どれい)を作っています。
    それは、この土鈴の音に癒やされたからです。
    癒されて救われました。
    日本の文化として滅びそうな土鈴です。
    私のように、土鈴に癒される人もいるだろうから滅びないでほしいから作っています。

    時間は限られています。
    描いて下さいね。

  • 絵画その他芸術に限らず、どんな分野でも結局、自分が感動すればいいと思うわけですよ。そのバイブが人に伝われば他人にも感動を分けられて、結果的に幸せになるのを助けることになるかもしれない。ここでいう感動は正で負も含みます。悲しさの表現に慰められる人はきっとすごく沢山います。また感動の種類は、また掃除で部屋がきれいで気持ちいいという日常的な感動から、スポーツの感動、お笑い芸人の芸が受ける感動、科学者の好奇心を満たす感動等いろいろあります。

    優秀な人のみが理解できる抽象的なものへの感動が格の高い感動(?)とされてますが、その手の格は実はわりとどうでもいいことじゃないかなーと超生意気に密かに思ってます。

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