エッセイ

揺れて消えては揺れている、幾重に重なるリングの束の、半永久の煌めきが静止するように

妹は、妹の演技がうまい。私より後に生まれてきた演技を自然にこなす。人がそう見えてしまうということは、随分とそういうことなのかもしれません。後天的に身につけた「生き方」に寄り添って、あなたがあなたの演技をしているように見えたのです。

誰か死んでも泣けないなと思うくらいには、上の空を生きているような心地でした。いいえ、最初は周りの人間に合わせて涙を流すかもしれませんが、3日も経てば前を向いてスタスタと歩き出してしまうような薄情な人間になってしまいました。思いっきり悲しみ、喜び、全力で生きていた頃とは違うのです。25歳になってようやく、心から生きるのをやめてしまった心地なのです。

心から冷めることのない情熱をもって何かと向き合うことが出来なくなっていたのはいつからでしょうか。これは流行り病のせいでもなく、環境のせいでもなく、「若さ」かなぁと思うのです。明日が有限であることは分かっていながらも、今日を懸命に生きられそうにないのです。

何が好きで、何に心を揺さぶられて来たのか。それに伴う労力を考えるばかりで、情熱が湧き上がり消えていくのを感じるのです。若さです、きっと若さが足りないのですね。心から湧き上がる、あの痛々しいくらいな純粋さは、どこへ行ってしまったのでしょう。ニヒリズムの中に真理を見いだそうとしても、変わらない毎日が淡々とやって来るだけでした。

忘れたい過去よりも、これから生きる年月の方が圧倒的に長いのに、体力が持たないのです。心がベッドにくっついて離れなくても、時が流れてゆくのです。

とはいえ、鏡に映る自分が展示物のように見えてしまうのも事実でした。サイズは可変ですが、死ぬまで誰かの見世物です。それにしても心が伴わないのです。

水面に映って儚らんで、揺れて消えては揺れている、幾重に重なるリングの束の、半永久の煌めきが静止するように。歳を取る体に寄り添って、特にさしたることのない日々を、悠々と生きていたいものですね。

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